『レディ・ジョーカー』読了

レディ・ジョーカー〈下〉レディ・ジョーカー』上下刊、完読。

大変お話が複雑だったのだけれども、事件そのものよりも、不条理さを抱えて生きる人間の生き様に揺さぶられ続けた作品でした。時々、自分の泥沼のような心の中身みたいなものを、見なきゃいいのに見ちゃう時、「こんなことでうじうじしてるのアタシくらいなもんだろうなあ」なんて思っていたけど、もしかしてわりとみんなそんなもん?ただ口にしないだけで、みんな世の中の不条理と戦いつつ生きてるのかしら…?自分の人生、ジョーカーをひいちゃったようなものだと。

登場人物、みんながみんな人には言えない何かを抱えているというところに、まずググッと惹かれたのだけれども、いちばん感情移入してしまったのは、意外にも新聞記者の久保。これといった目標もないのに、焦燥感だけは人一倍大きくて、いつも周囲に振り回されてしまう中堅の新聞記者。なんかわかるんだよなー、「何かをしなくちゃいけないけど何をしたらいいのかわからない、生きることに何がしかの意味を持ちたいのに、それができない」という根拠のないあせり。彼があちこち走り回る姿に少し涙してしまった。

で、問題の合田ですが、セリグチさんから前振りをいただいていた通り、モテモテなんてもんじゃなかったですよ…!?なんでみんなそんなに合田が好きなんだ。合田、女房に逃げられた甲斐性無しですよ?公私混同しちゃって個人情報とか調べ上げちゃう男ですよ?以下、ネタバレになるから隠します。


いや、まさか加納が18年も隠しに隠してきた恋心を合田に告白するとは思っていなかったです。そこはかとなく「あれ?あれ??」って思うシーンは『マークスの山』『照柿』にも出てきたけれど、刺されて瀕死の合田を前に一晩中泣き明かし、合田が目覚めると「君は俺を何だと思っていたのだ。俺を置いて死ぬつもりだったのか」と捨て台詞を吐いて出て行ってしまう。告白以外の何ものでもないですよね。(ていうか高村薫本人がそう書いてる。)

加納祐介と、その双子の妹である貴代子と、そして合田と。最初から三角関係だったんですね。合田が気づかなかっただけで。加納が司法試験で家を空けた日、合田と貴代子が初めて肉体的な関係を持ったわけですが、これを振り返って合田は「加納を出し抜いた」と言ってたんですよね。(『照柿』より。)でも、本当に加納《祐介》を出し抜いたのは妹の貴代子だったわけですよ。

多分、貴代子は実兄の想い人が合田だと知っていたんですね。だから先手を打たなくちゃ兄に合田を取られてしまう。でも彼女は女であるがゆえに最初から兄よりも圧倒的な優位に立っていた。祐介は自分と同じ顔をした妹が合田と結婚することになった時、「嬉しいような悔しいような複雑な気分」と言って結婚式に出ることを拒んだ。これは双子の妹が嫁に行ってしまうことについてではなくて、「どうして雄一郎と結ばれるのが俺ではなく貴代子なのか」っていうことだったんですね…。

貴代子と合田が別れることになった時、加納が「別れてくれるな」と泣いてすがったのは、万が一にも彼自身と合田の縁が切れてしまうことを恐れてのことだったわけで、貴代子と合田のことがどうだということではなかった。加納は妹を通して合田を自分の手の届く場所につなぎとめていたかった。

そういったもろもろの過去の断片が、加納の「俺を置いて死ぬつもりだったのか」という告白によって合田の中で全て繋がり、長年もやもやとして形にならなかった真実が彼らの目の前に姿を現した。彼自身と貴代子の結婚生活の破綻の根底に常にあったものが。合田が気づかなかっただけで、彼は双子の兄妹から競うように愛されていたという事実。

でも、本当にそれは気づかなかったのか、それとも気づかないふりをしてきたのか。登山中に雪崩に埋まってしまった加納の身を案じて祈り明かしたことや、無意識のうちに助けを求めて加納のアパートに押しかけたこと、刺されて意識を失う直前に口にしたのは加納祐介の名だったこと。今になってみれば全てに合点がいく。クリスチャンである彼らのやり取りの中には『罪』という言葉がよく出てくるのだけれども、男が男を愛することは一部のカトリック宗派においてはもちろん罪なわけで、そういった意味も含めて彼らは日々の些細な間違いや、すれ違う意見、すれ違う心に「罪」という言葉をよく使っていたのかもしれない。

《多分、私は今生まれたばかりで、何もかも怖いのだと思います。こうして生きていることが。一人の人間のことを昼も夜も考えていることが。人間は最後は独りだということが……》

司祭への告解を終えた合田が加納に宛てた一通の短い手紙。《会いたい。貴兄の声が聞きたい。クリスマスイブは空いているか。》こうして、加納の18年にわたる煩悶と苦悶に満ちた想いが合田に受け容れられる時が来た。でもこれは加納にとっての安堵であると同時に、合田にとっても形容しがたい加納への想いに対する感情の出口ができたということですよね。キリスト教的な言い方をするならば、二人の魂が救われたということなんでしょうね。だからクリスチャンである合田は「クリスマスイブは空いているか」という一文を、同じく信徒である加納への手紙にしたためたのだろうと。自らもまた「生まれたばかり」であることを認識した合田が、キリストの生誕に自らの人生の仕切りなおしを重ねたという意味で。

いやー…まさか筆者本人がこういう結末を持ち出すとは思わなかった。加納と合田に幸あれと願うばかりです。検事と刑事だから一緒に暮らせないだろうけどね…。

と、ここまで書いたら、なんだか貴代子がかわいそうになってきた。兄と合田の間で、一番罪の意識に苛まれていたのは、彼女だったんだし。貴代子を見ていると、結婚生活を省みなかった合田を、他の男に走るという形で捨てたというよりは、合田を想う兄に対するいたたまれなさを背負い続ける重責から逃げたとしか思えない。他の男に走ったのも、兄の気持ちを踏みにじって先手を打った自分の罪に対する気持ちが増幅した結果で、「悪者は私だけで十分」と自暴自棄になってやったことなのでは?貴代子にしてみれば、「私がいなければ兄はここまで思い悩むことはなかっただろうし、合田も目には見えない兄妹の確執に苦しむこともなかった」と思ってのことだったと思う。

三人が三人とも、互いを気遣いすぎて引き起こした切ない三角関係。だから本音をぶつけあうこともできずに、誰もが自分たちの関係の崩壊していく様をただ見ているしかなかった。

合田と加納、そして加納の妹で合田の元妻である貴代子の3人だけでこれだけ複雑な人間関係があるのだから、全1400ページに渡るこの壮大な小説のドラマ性がどんなものか、推して知るべしといったところ。私はだいたいの皆さんと同じく合田が好きなので、つい彼を中心に物語を読み進めてしまいましたが。

さて、文庫化の際には全面改稿をすることで有名な高村薫。『レディ・ジョーカー』文庫化の際には、どんな物語になっていることか、今からとても楽しみです。個人的にはもーちょっと加納と合田のその後を見たいなと思ったり。