読書的近況

読書をしていて最も幸せに感じるとき。それは、「早く次のページが読みたい」と思うときだと思う。ページを繰らせる力があるか否か。読書の魅力のバロメーターはこれに尽きる。ちなみに書き手側はこんなことを思うみたい。平野啓一郎氏のブログエントリーにこんなことが書かれていました。http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20070530

さて。平野啓一郎氏の『決壊』と高村薫氏の『太陽を曳く馬』は、私が今最も続きを楽しみにしている小説だ。どちらも「新潮」で連載されている。夢中で読み始め、最終ページにたどり着いてしまうとがっかりする。続きが読みたいのに途中で終わっちゃうなんて!まあ、それは連載なんだから仕方がない。それにしてもどうしてここで終わる!まあ、それも次号を読ませるための出版社のテクニックなんだから仕方がない。今月は、両方に大きな展開があり、ドキドキしながらページを繰った。ああ幸せ。

『決壊』は、ここ数ヶ月間もやもやと漂っていた不気味な空気が、いよいよ形になって押し寄せてきた。連載が始まった当時の穏やかな雰囲気は今、あとかたもない。ふと思いついて連載の初回を読んでみた。まるで別の小説を読んでいるかのような、日常的な風景が描かれていた。それが今は。ふとしたきっかけで<決壊>してしまう生活の風景。これって誰の身にもありえること。ただ、今は自分の身のまわりにそういうきっかけがないだけ。読み進めるたびに「身近に起こり得るとんでもないこと」の恐怖がじわじわと迫ってくる。

棺の描写はすごくリアルだった。私、良介がどんな顔をしていたか、なんとなくわかる。バイク事故で亡くなった幼なじみのまーくんがそんな感じだった。彼も不可抗力で胴と首が離れてしまっていたから、棺の窓から顔を見ることしかできなかった。頭と顔の半分は包帯でグルグル巻きにされていて、かろうじて見えていた顔の半分も、腫れあがっていたっけ。「この棺の中にいるのは本当にまーくんなのかなあ」って思った。だって、いつものまーくんの顔じゃなかったから。単に信じたくなかったのかもしれないけど。あの日のことがフラッシュバックした場面だった。さて、来月の『決壊』はどうなるのかな。またひとつ、何かが決壊するんだろうな。まだ連載途中だけど、ここまで読んで、しみじみ「いいタイトルだなあ」と思っている。

『太陽を曳く馬』は、合田雄一郎が地道な捜査をしているところ。ようやく難解な手紙の部分が終わり、話は梅雨空のちょっとした晴れ間のような感じになっている。今ごろ加納祐介はニューヨークへ飛んでいるんだろうか。雄一郎は相変わらず。もともと付き合いベタなところにジェネレーションギャップが加わり、ますます部下の温度差が開いてしまっている。孤独という言葉は彼のためにあるような。以前の部下、森との間にも温度差はあったけれど、ここまで激しいものではなかった。そういえば森って今どこにいるんだろう。やっぱり島?ペコさんや又三郎は?ペコさん、まさか定年で退官したとか?いやいやまだちょっと早い。

シリーズものの楽しみのひとつは、かつて登場した人物のあれこれまで想像してニヤニヤすること。本文には出てこなくても。29歳だった雄一郎も今や43歳。立派に「オッサン」と呼べる歳になった。でも成長しないんだ、この男。そこがいいのかもしれないけど。いつまでも経っても頑なな雄一郎を見ていると、どうにかしてあげたくなる。『レディ・ジョーカー』で、祐介が雄一郎をどうにかしてくれるんだと思っていたんだけど、あれから現在に至るまでの7年間、また彼らの間の何かが変わったんだろうな。早くそこんとこ読みたい。高村先生よろしくお願いいたします。そろそろ待ちきれなくなってきました…。

というわけで、小説そのもののおもしろさもさることながら、空想力というかむしろ妄想力が加わり、毎月7日前後は頭の中がいろいろと混乱します。さて、来月の発売日までは再びじっと待たなければ。じっとガマン。