『小さな中国のお針子』

小さな中国のお針子 [DVD]

小さな中国のお針子 [DVD]

リウ・イエ見たさに借りちゃった。文化革命のあおりをくらって田舎に下放された知識階級の若者2人と、その地で出会った知識欲旺盛な少女の物語。このタイトル、原題は『バルザックと小さなお針子』なのに、どうして邦題は『小さな中国のお針子』なのか…。バルザックって入ってなかったら意味ないじゃん!!!バルザックが重要なんじゃん!

まあ、それは置いといて。リウ・イエが…。イイ…。ハァ。うっとり。

映画の中の彼は、19歳の若者で名前はマー。音楽家を目指してヴァイオリンを学んでいたところ、毛沢東下放政策に遭い、歯医者の息子・ルオと田舎へ流されてきます。西洋の楽器を見たことがない田舎の人々。ブルジョア思想を排除する政策の下、西洋小説の翻訳本を持っているだけで罪に問われる時代。でも、彼はモーツァルトの曲を「毛主席を称える曲なんです」と下放先の村長にウソをつき、そこでヴァイオリンを持ち続けることを許されるのです。

その村には仕立て屋とその孫娘・お針子が。マーとルオは彼女をスキになってしまうのですね。知識欲が旺盛なお針子に、読むことを教え、無知から救い出そうとする二人。そこから先はあーんなことやこーんなことがあり、彼らの間にはとんだハプニングも起こります。でも壊れない友情。それもこれも、マーがすべて心のうちに収めてしまったから。

マーとルオの試みは大当たりするどころか、お針子の人生を大幅に変えてしまいます。ここでバルザックが重要な役割を果たすのに、なぜ映画のタイトルから抜け落ちているのか(しつこい)。下放政策が終わり、彼らが数十年後に再会を果たしたときも、マーはお針子に何が起こったのかをルオに告げない。もう時効なのに、言わない。知らないのは当人であるルオだけ。しぶい。マー、人間としてできすぎです。

ストーリーは地味だし、肥桶を運ぶシーンは「ウップ」だし、清純そうに見えて意外と大胆なお針子だし、ぶっちゃけ私が好きなタイプの映画ではないと思っていたのですが、よ、よかったですよ!?特にリウ・イエが。やっぱり。

リウ・イエの魅力というのは2つあると思います。まずは「朴訥な少年らしさ」。中身はまだ少年なのに、体ばっかり大きくなってしまい、それをもてあましているようなぎこちなさがいい。がっちりした体に申し訳なさそうな目をした小さな顔が乗っている。モノ言いたげなのに、言えなくてモジモジしている口元はウサギのよう。2つ目は「おくゆかしい知性」。あの目を見れば「あ、この人すごく頭がいいんだろうな」って思う。絶対に。そういう物静かな知性を感じます。

リウ・イエの演技がすばらしいなと思ったのは、隠し持っていた西洋の小説を取り引き道具に、医者をつれてくる算段をする場面。バルザックの小説の一節を声に出して読む医者の前で、急に泣き出してしまうマー。ルオと違い、下放生活に愚痴をこぼすことも、お針子に愛を告げることもなかった彼だけれど、やっぱり辛かったんだなという事実がこのシーンで一気にわかる。加えて、知識を持つ人間が知識を剥奪される、またはそれ以上の知識欲を持つことを禁じられる辛さまでがこの場面に凝縮されていて、痛々しいことこの上ない。体は大きくても、やっぱり中身は少年。顔を真っ赤にして泣きじゃくる「大人のような子ども」、そのアンバランスさがすばらしかった。

というわけで、私としては大絶賛の映画なのでした。しかしなんというか、もっともっとずっと悲惨だったでしょうね、本当の下放政策っていうのは。と思ったのも事実で、そこんとこはあくまでも「ファンタジー」として受け止めました。フランス映画だし。

私が以前の職場で中国人の上司から伝え聞いた文革の激しさというのは、半端なかったです。学校に行っていた、文字が読める、農業をしたことがないというだけで下放先の田舎では相当ないじめに遭ったそうですし、中には田舎の生活になじめず、しかも本が読めない、音楽が聞けないなどの境遇に絶望を感じて心を病んだり死んでしまったりした人もいたようです。それを考えれば、やはりこの映画はファンタジーとしてとらえるべきなのかもしれない。

■『小さな中国のお針子』公式サイト
http://www.albatros-film.com/movie/ohariko/