雨月物語

上田秋成の『雨月物語溝口健二監督バージョン(1953年)を、フィルムセンターで観てきました。映画館で見られる機会なんてそうそうない!どーーーしても観たかったので、上司を拝み倒して残業時間の2時間だけ中抜けさせてもらいました。時間もギリギリだったので、ダーッシュ!!

監督:溝口健二
撮影:宮川一夫
出演:京マチ子森雅之田中絹代、小沢栄、毛利菊枝


すごく期待して見に行ったのですが、もー最初から宮川さんのカメラワークにノックアウトされました。なんてすばらしいカメラマンなんだろう!

【冒頭】遠くの風景をなめるように流れていくカメラが、いつの間にやら荷車に荷を載せている源十郎(森雅之)とその家族を映し出す。この一連の流れ、『新平家物語』でも使われていた手法だと思うのだけれど、自分の目で風景を見渡したかのような自然さ。しかも、遠方を見ていたはずなのに、いつの間にか焦点は近くにあるものを見ているかのような。あー、なんかうまく表現できないんだけど。

【中盤】濃霧につつまれた夜の琵琶湖をゆく古びた舟。霧のカーテンの向こうからいつの間にか現れる小舟。戦火を抜けて、ようやく平和な土地に行けるという安心した舟上の人物たちをよそに、穏やかな水面がものすごく不気味だ。

市の雑踏の中から、身なりのいい女性(京マチ子)がいつの間にか現れる。これがまた、本当に「えっ、この人どこから出てきたの?」という絶妙さ。京マチ子の演技力なのか、宮川マジックなのか。かなりドキッとした場面だった。

【終盤】グラマーな幽霊にとりつかれ、源十郎は取り殺される寸前。目は落ちくぼみ、気がふれたかのように女にうつつを抜かしている。が、通りすがりの坊主に身なりのいい女性が実は幽霊であることを教えられて愕然とする。お祓いのため、梵語を肌に書き付けた源十郎。それに驚き、それでも迫る女と乳母(毛利菊枝)。めっちゃこわい………。京マチ子の額にうっすらとうかぶ隈取りと額の隆起。いまにも般若に変身しそうだ。

般若のような女とともに「逃げられませんよ」と近づいてくる乳母の顔。着物が暗い色なので、画面に白く浮かぶのは首と顔。まるで生首。『ぼんち』では船場の大店を切り盛りする大奥様役で、孫に扮した市川雷蔵を小僧のごとくいなしていた毛利菊枝。あの作品でも喰えないばあさんを怪演、得体の知れない不気味さを醸し出していたけれど、この作品は彼女の演技の真骨頂ではないだろうか。すんごい怖い。あの「もたぁ〜」とした喋りとビブラートのきいた低音の声が怖さにだめ押しをかける。

太刀で幽霊をなぎ払う源十郎。闇の中に消えていく女と乳母。恨みながらあの世に消えていった女たちは、またもや俗世に恨みを重ねたことだろう。

武士として出世を果たした藤兵衛。武士になりたいがために妻をないがしろにした男と、遊女に身を落としても夫に会いたいと生きながらえていた妻。2人の再会の場面。元は木訥な百姓だった藤兵衛、落ちぶれた妻の姿を見たとたんに目が覚める。ひどい目に遭わされたと夫に恨み言を告げるまでは死にきれなかったと泣き崩れる妻。「死にきれなかった」と何回も繰り返し、夫とともに物陰に倒れ込む妻。女のつま先が土をひっかいて、地面にくぼみができていく。なまめかしい場面だ。


と、まあ、特に印象に残った部分のみを書いてみました。溝口映画はなんというか「むさい」男が登場しがちな気がしますが(なんか3ヶ月くらい風呂に入ってなさげな男がたくさん出てくる)、なぜか愛しい感じがしますね。この作品は、『雨月物語』に出てくるいくつかのストーリーを1編にまとめたそうですが、湿気が匂ってきそうな暗さが何ともいえず、楽しめました。

それにしても映像の美しさには脱帽です。映画って映画館で見るべきものなんだな。当たり前のことなんですが、それをひしひしと感じた作品でした。

で。あとひとつ気付いたのは私はどうも田中絹代が苦手みたいだということ…。