生誕120年 藤田嗣治展

藤田嗣治 異邦人の生涯母と一緒に藤田嗣治展に行ってきた。

以前から楽しみにしていた展示だったので、わくわくしながら東京国立近代美術館に行ったんだけど、会場のなんとまあ混んでいること!列に1時間並んだですよ…こんなに並んだのって、4年位前に国立西洋美術館レンブラントゴヤグレコ&ベラスケスの展示をやってた…なんだったかなー、ルネッサンス展だったかなー…思い出せないけど、それ以来の並びっぷりですよ!!とにかく混んでた…。

藤田嗣治は自分の名前を「Fujita」じゃなくて「Foujita」と綴る。フゥジィタではなく、フォゥジタと発音するのかな?渡仏後、パリ画壇の寵児となり、日本に凱旋帰国した彼が描いた日本の絵が面白い。どこをどう見ても《外国人から見た、外国人の筆による日本人の絵》だった。日本人であって日本人ではなかった藤田の気質が色濃く顕れていた作品が、築地の市場で働く男の絵だった。これ、必見だと思う。

おかっぱ頭にフープのイヤリング、丸ぶちめがね。フランス人の妻や愛人たち。猫。キリスト教への傾倒。気持ちいいほど日本人のアイデンティティを捨て去った人、藤田。母いわく「器用貧乏というか、どんな絵でも描けるんだね。上手だけど、戦争絵画もやれば宗教画もやるし、印象派みたいな絵も描くし、その時々の影響を受けやすい人なのかね?」とのこと。おお、厳しいね。

確かに初期の作品は日本画の影響が濃く、外国人を描いていても日本人ぽい顔つきのものが多いし。油彩なのに油彩に見えないのは、徹底して背景をシンプルにしているor壁紙のように描いて人物を浮き立たせるようなものにしているから。おまけに表面がごつごつしていないので、よく見ないと、とても油彩とは思えないほどに表面が滑らか。気合の芸術と言われる水墨画の影響も受けているのか、一筆描き(一発描き…?)な線も印象的。彼の持ち味といわれる乳白色の肌色は、まるでリヤドロの陶器のようで、ため息の出るような美しさだった。

特に、黒い壁を背景に、白いベッドに裸の少女が横たわっている作品は忘れられない。乳白色の肌と黒い壁のコントラストが実に明快でわかりやすく、格調の高さの中に、俗っぽさが閃いているところがとても良かった。これも日本画の影響なのかな、と。アクセントのように猫を配置したりするところも。

猫といえば、藤田の猫の絵、最高!腕とわき腹の間に顔をねじりこんで「ねえー!なにやってんの?」状態の猫の顔が特にいい!狭いところに顔をむりやり突っ込んでいるので、顔の皮がひっぱられてすごい顔になってんの(笑)他にもピーター・ラビットかと思うような動物の戯画があったりして楽しかった。

なんというか、いろんな引き出しを持っていた画家なんだなーっていう印象。私はわかりやすい絵が好きなので、かなり好きです。藤田嗣治。ずいぶん長生きして、パリに没した異邦人。渡仏したもののパリで精神を病んで客死し、パリの画壇でそれほど評価されなかった佐伯祐三と比較してみると、なんだか考えるものがありました。

展示を見たあと、毎日新聞社隣接の食堂でランチ。どこを見ても新聞マンばっかり。新聞マンって、よれよれなんだけど、働き盛りの男の張りみたいなものがあるんですよね。母方の叔父が新聞記者で大変ダンディだったので、つい新聞マン=叔父のようなダンディな人種と思ってしまうワタクシ。おかげでその勘違い?のツケは大人になってから新聞記者と付き合う羽目になった時に払いましたよ…。超大損だったんですけど…。母が、食堂にたむろす新聞マンたちを横目に「働き盛りの男っていいね」ってしみじみ言っていたのが可笑しかった。

と、そんな感じで藤田嗣治展、すごく面白かったです。まだやってるんで未見の方はぜひ!