またも不調。

ヨガ行こうと思ったのに体が動かなくて起きられず。体がだるいのに熱を測れば熱はなし。
頭が重いし痛いしのど痛いし節々が痛いし。どー考えても風邪の症状じゃないの!?でも熱ないから会社に行く。

夕方から取材で外勤。うう、一人で取材は辛い…。頭が痛くて重くてぐらぐら状態。でも代わり要員はいない。仕事するって大変だよな、としみじみ思いつつ、ひたすら待つ。

タッキーを間近で見たよー♪想像していたよりずっと小柄でフツーな感じだったのが意外。でもカメラを通すとものすごくカッコイイ!カメラ映えする子なんだなあ。取材は8時ごろに終了。撤収して家に着いたら9時半だった。あーもう寝る。

土曜日、転職の筆記試験なのに大丈夫かなあ…。課題まだ終わってないっつーのに!!

「時間ですよ」演出家・作家の久世光彦さんが死去

「時間ですよ」をはじめとするユニークなテレビドラマを数多く手がけた演出家で作家の久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが、2日午前7時32分、虚血性心不全のため東京都世田谷区内の自宅で亡くなった。70歳だった。

告別式は7日午前11時、文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻、朋子さん。連絡先は、港区赤坂4の3の14辰村赤坂ビル、カノックス

親しい編集者によると、久世さんは前日も、普段と変わらない様子で仕事の打ち合わせをしていたという。

東京都出身。東大卒業後の1960年にKRテレビ(現TBS)に入社。62年のドラマ「パパだまってて」で演出家デビューした。70年代に入って、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家「ムー」などのホームドラマを次々と生みだし、時代を代表するヒットメーカーに。コント的な要素を導入したり、食事の献立を字幕で紹介したり、従来のドラマ作りの常識を覆す演出で異才の名をほしいままにした。

79年にTBSを退社し、製作会社「カノックス」を設立。軽快な作品の一方で「向田邦子シリーズ」のような繊細でしみじみとした人間ドラマも手がけ、92年には「女正月」で芸術選奨文部大臣賞を受けた。

映画監督、作詞、舞台演出にも乗り出すとともに、作家としても活躍。94年に「一九三四年冬―乱歩」で山本周五郎賞、97年に「聖なる春」で2度目の芸術選奨文部大臣賞を受賞した。95〜97年には本紙に小説「卑弥呼」を連載した。98年に紫綬褒章

私の敬愛する向田邦子さんの作品を数多く手がけた方でした。心よりご冥福をお祈りいたします。