東京縦横無尽∞

たいやき。

いやー…。よく移動した1日だった。年末のご挨拶に、方々を飛び回った。本日の移動経路は以下の通り。

家⇒渋谷⇒赤坂見附新宿御苑⇒新宿⇒新大久保⇒新宿⇒銀座⇒東銀座(歌舞伎座)⇒銀座⇒東京⇒品川⇒新橋⇒虎ノ門(びょういん)⇒銀座⇒東銀座(歌舞伎座)⇒銀座⇒渋谷⇒家。

途中、()でくくってあるのは私用。途中、年末年始の帰省用のチケット取ったり、雷蔵祭のチケット補給購入したり。あとは全て仕事で移動&行動。なんで歌舞伎座が2回あるかというと、一幕見席のチケットを早々に買っとこうと思ったから。でも、お目当ての『今昔桃太郎』のチケット、19時55分じゃなくちゃ買えないってゆーじゃん!仕方ないので別件の用事を済ませてから再び歌舞伎座へ。すごい寒い吹きっさらしの中、並んだわよ…。19時前から。さっぶい…。銀座は海が近いから湿気が多い+風が吹く=さっぶい。
虎ノ門を出る前、病院前でたいやき屋台が出ていたので2個購入したやつをかじりつつ並ぶ。あー、たいやきが美味しいなあ♪まだあったかいっていうのがこれまた嬉しいじゃあありませんか!ウマー。あんこも甘すぎなくてウマー♪たいやき一尾でここまで幸せを感じられる自分に乾杯。

そんなんで、中村勘九郎勘九郎として最後の歌舞伎に行って来ました。でも立ち見。まあ、金曜日だしね。あと1週間しかないから、残りの日数は今日以上に激混みになることでしょう。

■『今昔桃太郎』
中村勘九郎の初舞台は『桃太郎』だったんですってね。で、勘九郎としての最後の舞台に『桃太郎』をやりたいと。これ、脚本を渡辺えり子が書いてて最高に面白かったー!桜の花びらが散るイントロがスバラシイ。実に美しい。そして勘九郎の初舞台のビデオを上映。2分くらい?小さい勘九郎がいっちょまえに見得を切ったりする姿が可愛らしい。その幕が上がると、いよいよ本題へ。舞台は鬼退治から49年後…。

桃太郎こと勘九郎の衣装には「あほ」「かんくろー」などと書かれた布がつぎはぎされている。犬・猿の衣装にも「いぬ」「さる」とか書いてあって、つかみはバッチリ。鬼退治から49年、桃太郎はすっかり太って、過去の勇姿はみじんもない。しかも鬼にコロッとだまされ、死ぬまで踊れー!と鬼に術をかけられてしまう。と、ここで出演者がキコキコ踊る。踊る。踊る!キコキコキコキコ、いつまでも踊っている(爆笑)音楽も、「これは義太夫のリズムではないだろう!?」というリズム+ぴゅいーんと音のするマシンが多用されていた。にも関わらず、義太夫のおっちゃんは一生懸命歌ってた(爆笑)途中、勘九郎が過去に演じてきた義経などの見せ場や口上を交えながら、ひたすら舞い踊った。歌舞伎風ラップも披露。←へたくそなところがよろし。で、いろいろあって、桃太郎は心を入れ替え?鬼退治に出かける。と、ここまで。

すごい見所が多い+笑いっぱなしの1時間弱。これ、本当に面白かった。渡辺えり子最高ー!そして勘九郎は本当に歌舞伎という世界を現世に広めることに貢献してきたのだなあというおもいがした。勘九郎がテレビでドラマに出たりして名前を広めるまで、歌舞伎を見に行く、という風習は少々薄れていたように思う。勿論その間には猿之助スーパー歌舞伎をやってみたり、團十郎がいい男っぷりで同年代の女性をウットリさせていたりするわけだけれども、老いも若きも「カブキー!」っていう状況ではなかったですよね?近年では市川海老蔵をはじめ、中村獅童中村勘太郎七之助尾上菊之助、などの若手が注目されていますが、これだって最初に中村勘九郎ありきだと思うですよ。ここまで歌舞伎というものが注目されるようになったのは、勘九郎の貢献だと思います。

『今昔桃太郎』はギャグ1000%だったのですが、過去を振り返りながら「今までの人生に感謝し、またいっそう精進するよう」未来に向っていくという筋書きが、まさに今の勘九郎そのものの立場で書かれていて、それがまた押し付けがましくなく説教くさくない。渡辺えり子の筆が冴え渡った。彼女としても彼女のライターとしての集大成であっただろうと思う。本当にすばらしかった。

ギャグだったはずなのに、ラストシーンでは「今までありがとう」という勘九郎のお客さんや先輩、そして後輩らへの想いがせつせつと伝わってきて、気づけば目を潤ませていた自分。観にいってよかった。勘九郎さん、ありがとう!!

中村勘三郎の襲名披露公演は絶対に見に行くぞと誓った夜。

で。明日はやっぱり雷蔵なんだな、これが。うしし。