人生いろいろやで。

鬼平・梅安食物帳 (ランティエ叢書―グルメシリーズ)
鬼平・梅安食物帳。
これ、欲しい!!だれかクリスマスにプレゼントしてください(笑)

■切ないかぶら。
morohiro_sさん(id:morohiro_s)のところで、大量のかぶらの皮が破棄されている写真を発見。http://d.hatena.ne.jp/morohiro_s/20041124 「千枚漬になれなかったよ」という見出しがこれまた泣ける。千枚漬は漬物の中でも特に好きなものなので、切ない。きれいなものだけが商品になるという現実があるかぎり、こういうきれっぱしは用なしということなのねん。

先日観た、『ハウルの動く城』で、ハウルが「美しくなかったら生きている意味がないんだー!!」と叫び、絶望のあまり液体化してしまうというシーンを思い出しました。それを聞いたソフィーが「あたしなんかきれいだったことなんか一度もないわよー!」って(笑)まあ、自分がお世辞にも美人の部類の造作ではないので、ソフィー婆さんの気持ちはよくわかる。それに、美しくなかったら生きていちゃいけないのかといえばそんなことはない、と思いたいし。

パン屋さんの裏にパンの耳が大量に捨てられていたり、こうしてかぶらの皮が捨てられていたりするのを見ると、「ああ、もったいない、食べられるのに」と思ってしまうのであります。形がちょっとくらい悪くてもいい、きれっぱしでもいい。「お徳用、こわれせんべい」みたいな商品にしていただき、もりもり食べたいなー、と食いしん坊は思うのです。どこかにないのかしら、「お徳用!こわれ千枚漬」。でも、かぶらの皮って固いみたいですね。ウーン。やっぱり再利用は難しそうかも??

■ちょっとびっくりした。
ランチの時間、ちょっとびっくりしたことが。私が春菊が好き、という話をしたら、同僚のTさんが「うーん、アタシ苦手なんだよねー」と返答。そういえば、彼女はシソとかミョウガもダメだったっけ…と思い、「好き嫌い結構あるよねえ」という話をしたところ、その場にいたもう1人が「私、好き嫌いをする人って、単なるわがままだと思うんだよね。だって、世の中には食べたくても食べられない人がいるんだし」と言ったですよ。私、ちょっと凍りました…。その後、その場に流れたきまずさをどうにかしようとしたことは言うまでもなく。

まず、面と向かって「あなたはわがままだ」と言った(も同然)ことに驚いた。それに好き嫌いと食糧難は、ここまでの会話の成り行き上、あまり関係ないというか。例えば教育上、親が子供に「食べたくても食べられない人だっているんだからちゃんと食べなさい」って言うことはアリだと思う。ただ、心の中でそう思っても、面と向かって同僚に言うのはどうか。

大人になると、子供の時よりも「絶対にこれを食べなければいけない」っていうのがなくなるだけに、よけい偏食が強まるのかもしれないなあと思いつつ、それでも「好き嫌いをする人ってわがままだと思う」とは発言しないだろう、と思ったのでした。考え方は人それぞれだけど、言っていいことと、相応しくないことと、ちゃんと場の空気を汲んで話をしなければ、と自分の戒めのためにも記録。

■そんなわけで
私の食道楽は父譲り。でも父は先週から栄養剤のみで暮らしている毎日。いつもなら、おなかいっぱいになのに「今日の夕飯は何にするんだ」と言って周囲を呆れさせていたような人が、ひと月は食べ物という食べ物を口にできないという現実に直面している。

内田百輭だったか、中島らもがそれを引用したか記憶が定かではないけれども、「口福」という言葉があって、それはまさに「口の中で感じる幸福」のことを指す。食道楽の人間は、常に「口福」を求めて日々を生きている。(中島らもは食道楽ではなかったと思うけど。)

その食道楽の人が、何も食べられず、首から栄養剤を突っ込まれて日々を過ごしている。どんなに辛いだろうと思うと、自分の親のことなのに顔を見るのが憚られて、実は今日までお見舞いに行っていない。本当は、父の病んだ姿を見たくないだけなのだろうと思う。

手術の日も母だけが病院に行った。姉は子供と留守番。普通、ああいう手術の場合、親族がワーっと集まるものらしく、母は手術前に医者から「おひとりでいらしたんですか?」と呆れられたらしい。手術にあたって書いた書類の連絡先には私の名前も入っているので、誰もこないなんてずいぶん薄情な家族だと思われたのではないか。というのも、手術前は10日前後で退院できるでしょうと言われていて、私も本当に気楽に構えていたのだった。でも術後、数日たっても家族から連絡がなくて、妙な気持ちがしていたら、やっぱり長期入院になったとのこと。母や姉が気丈に構えているので、私も泣いてはいけないと思って、明るく電話で受け答えをしたのだけれど、電話を切ったら急に気弱になって泣いてしまった。多分、母も姉も同じだったのではないかと思う。「急にじいさんになっちゃったよ」と言った姉の言葉がここ数日忘れられなくて、ちょっと気がゆるむと涙腺も緩む。

最悪の事態はなんとか避けられたものの、当分の間は、父も以前のような食生活をすることができなくなったわけだ。いつになったら父に「口福」が戻るのか今のところわからないけれども、早くあれもこれも食べさせてあげたいと、心の底から思う。

というわけで、不肖の娘は週末に帰省いたします。目下の目標は病院で泣かないこと。