ふと思い出した。

早朝、もうろうと部屋の真ん中にぼーっ、と突っ立っていたところ、急に思い立って冷蔵庫の方向に向かったとたん、「がっ!!!!」と足を椅子にぶつけた。イダー!!今、自分に何が起こったのかよくわからず、とりあえずしゃがんでみたところ、痛いのは右足親指。爪の1/3が割れてもげそう。こりゃまた景気良く割れたもんだとしみじみしていたのだけれども、このもげそうなやつをもいでしまっていいのかそのままにしておいたほうがいいのかわからない。後悔するとイヤなので頑丈なバンドエイドで爪を固定。これ、どうしたらいいんだろー??それにしても昨夜ペディキュア塗ったばかりだというのに悔しい。

■ふとM先生のことを思い出してみる。

私の高校2、3年生の時の担任はM先生。古事記に出てきそうなたいそうな名前の先生だった。担任になるまで体育の先生だと思っていたのに、世界史の先生で驚いた。非常に声のでかい先生だった。
M先生は世界史の授業中だった。「えかてりーなにせいはー!ろしあのー!じょていでー!」M先生の声は隣の教室で英語の授業中だった私の耳にもガンガン響いていた。英語の先生はブル。(←ブルドッグにそっくりだったから。)ブルは昭和ひとケタ生まれ、校内でも特に神経質な先生で、ときおりM先生に「もうちょっと静かに授業やってください!」とかゆっていたのだけれども、耐え切れず、ある日授業の場所を音楽室に移動させてしまった(笑)
M先生はソフトボール部の顧問で、一年中真っ黒に日焼けしていて、一年中ジャージに白い「うんどうぐつ」姿だった。廊下ですれ違う時など「せんせえー!」と呼ぶと、「おう!ぽぽんか!なんか用か!」と、険しい顔をしつつ、その場で膝の屈伸をしていた。「先生、なんでいつも膝の屈伸してんの」と聞くと「それはな!体がなまるからだ!」と言っていた。
それでも「式」と名前のつく校内行事ががある時だけはスーツを着ていて、でも白い「うんどうぐつ」をはいていた。「先生、なんでスーツなのに白いうんどうぐつなの」と聞くと「それはな!なにかあった時に走れないと困るからだ!」と言っていた。私は当時、「先生、変だよー」と笑ったけれど、「何かあった時に走れないと困る」という考えは教師として、とても正しいことなのではないかと思う。
M先生は非常に根性の入ったツラガマエの先生だったけれど、とても優しい先生だった。人気もあった。日本の大学は受験しないと進路表に書いた時、他の先生は「どうして受験しないんだ、アメリカになんて行ったって大学に入れるとは限らないだろう、日本で受験しろ」と怒ったけれど、M先生だけは「ぽぽんは大学に入ります。日本の大学じゃなくてもちゃんと入ります」と、最後まで応援してくれた。ありがたかった。M先生は滅多に笑わない照れ屋さんだったけど、ちゃんと進学先が決まった時、「よかったなあ」ってニッコリ笑ってくれたのが嬉しかった。

アーチェリーの山本博選手は高校の保健体育の先生だそうですね。実際の人物像はわかりませんが、真っ黒に日焼けした顔といい、似合いすぎるジャージ姿といい、テレビで見知った人柄にM先生を思い出しちゃった。当時のM先生は40歳くらいだったから、ちょうど年かっこうも似てたんだね。ねー!M先生、元気ー?山本選手、きっと学校でも人気者なんだろうなあ。簡単に学校での姿が想像できて面白い。

「生徒全員にメダルをを触らせるって約束したけど、磨かれて金になっちゃったらどうしよう」っていうセリフに笑ったり、お子さんに一言と言われて「帰ったら一緒に金に塗っちゃおうか!」とか言っているのをテレビで見ると、あれだけの僅差で銀メダルだったから、本当はお日さま色のメダルが欲しかったんだろうなあ、と思いつつ、「20年後には金メダル」という清々しいコメントに笑い涙が出た。

高校の時の先生は本当に個性豊かな先生が多くて、すごく楽しかった。私、後にも先にもどうしても好きになれなかった先生って3人しかいなくて(笑)、そうやって考えると恵まれていたんだなあって思う。山本選手のいる学校の生徒さんは幸せだなあって思う。生徒さんもきっと幸せだなあって思っていると思う。教育の場が、こういう先生でいっぱいだったらいいのになあって思う。