新撰組!に捧ぐ。

昨夜の『新撰組!』の最終回x2(NHK総合BS1)を見てさんざんに泣きはらし、まぶたがぼーっと腫れている状態で会社に行ったのに、「今日はなんだか肌ツヤがすごくいいね!」って言われた。疲れてるんだけどナー。と思ったら、「きっと雷蔵様効果で性ホルモンが増加したんだよ!」だそうです。同僚情報によれば、ドキドキしたりウットリもしたり、目がハァトになったりすると性ホルモンがバンバン出てきて、肌ツヤが良くなるらしいです。たとえそれが現実の恋ではなくても、ときめく気持ちだけで性ホルモンが増加するんだよ、と真面目な顔をしてゆっていたので、雷蔵さまさまといったところでしょうか。今日のアタシはツルピカよー♪

■『新撰組!』最終回!
本日はシリアスバージョンでお送りします。思い出すだけで泣けてくるなぁ。

土方歳三と兄の為次郎の会話。「よく近藤さんを盛り立ててきたな」と労いの言葉をかけてもらった時、過去5年、突っ張りに突っ張ってきた心の糸がプツンと切れてしまったのだと思う。歳三の、心のやわらかい部分を、為次郎だけが知っていたのかも。そこは近藤さんも知らない、触ったら痛い場所。いつまで経っても兄は兄で、弟は弟。失意のどん底で死に場所を求めている弟を、よくがんばった、と兄はほめた。鬼の副長と呼ばれ、死なせてはならない人を死なせ、新撰組は崩壊し、隊士も次々に離脱していった。希望も自信のカケラも残ってはいず、副長という名前と「誠」の旗しか残っていない彼に、為次郎以外の誰が「がんばった」という言葉をかけることができただろう。


弟は兄の言葉で涙を流す。歯を食いしばって泣くのでもなく、むせび泣くのでもなく、無理矢理声を殺して泣くのでもなく、涙のこぼれるまま、それに任せて泣く。あの鬼の副長が泣いていた。万感の想いを尽くして。最初は、盲目の兄に気づかれないように、ああして泣いたのかと思ったけれど、多分違う。どんなに取り繕っても、為次郎には歳三が泣いてることなんかすぐにわかってしまっただろうから。兄は弟をどれだけ誇らしく思っただろう。弟はどれほど兄に感謝したことだろう。近藤も、他の誰も知らない為次郎と歳三の絆。それを超えて迎えた別離の時。為次郎が朗々と歌いだす。

「渭城の朝雨 軽塵をうるおす
客舎 青青として 柳色新たなり
君に勧む 更に尽せ 一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん」

これは王維の『送別詩』。兄から弟への贈る言葉。泣けたー…。為次郎が歳三を労う、それだけで泣けたのに、『送別詩』が出てきた時には、もう…。

この為次郎@栗塚旭山本耕史の演技が実に素晴らしかった。全体的にあふれる別離の緊張感が漂う中で、静かに会話が進んでいく。心と心のふれあいっていうのはこういう瞬間のことをいうのかもしれない。栗塚さんが昔、歳三を演じたことがあったのは大きかったと思う。歳三という人物を知り尽くした役者だからこそ、弟を包み込むような、懐の大きい、愛情あふれる兄を演じることができたのかもしれない。とにかく泣けた。泣いた。ヴェー!!!って泣いた。

ちと感想の順番がズレていますが、一番書きたかったトコを先に述べさせていただきました。ご了承を。

  • 「生きることを恥ち思うてはいかん!」「なにもかも、おいに任せてやったもんせ」古田新太@有馬籐七。もっと早くに出会っていたらなあ。薩摩の人にも近藤を助けようとしてくれた人がいたんだってことが嬉しかった。古田新太、すっごい良かったね。かなりの仏頂面なんだけど、あまり動かない表情の中で、なんと多くの感情を表現したことか。

  • 捨助は独りでも助けに行く、って。俺は最後までいっしょにいるぞ、って。かっちゃん、待ってろよ、って。バカー!せっかく近藤が助けてくれたのに!捨助新撰組がもう隊としての秩序を無くしてしまった時にやっとお情けみたいな感じで仲間に入れてもらって、隊士としてなんら働きのないまま隊の終焉を迎えた。隊士として認められる間もなく。捨助はああやって近藤の弔い合戦を一人でやることで、新撰組の1人になれたのかなあ…。何も考えていないようで、捨助捨助なりに、あの時代を新撰組と共に真剣に生きていたんだなあと思うと、切なかった。でも頭に風車をつける必要はなかったんじゃないのー?捨助らしいといえばらしいけど。泣き笑いしちゃったよ。

  • 勝海舟野田秀樹。「どうせ死ぬ気でいるなら俺の頼みを聞いてくれねぇか」って言うのは、近藤も新撰組も失って、死に場所を探していた土方への、一番の温情だったはず。山岡の「せめて武士らしく切腹を」という近藤への言葉に「武士らしくってなんだ!大事なのはどうやって死ぬかじゃねえ!どうやって生きたかだ」と言った勝。でも、彼が土方の手向けに贈ったのは武士の情けだった。野田秀樹はやっぱり只者じゃない。

  • 彦五郎@小日向文世:「せめてさあ、武士らしく切腹させてやってもいいじゃないか!」鹿之助@小野武彦:「情けを持たない者に人はついてこない。薩長の時代もそう長くは続かない、私はそう信じます」本当に鹿之助さんの言うとおりに歴史は流れ。

  • 容保公という人物は、徳川の純粋培養みたいな人だったんですね。純粋培養は逆境において挫折するより他はなく。人を信じるのは得意でも、裏切られることに弱い。そして世を渡ることに不器用。だからそういう人は哀しい。自らに課せられた悲哀の人生を、筒井道隆が淡々と、本当に淡々と演じていたのが印象深かった。沖田は刀を武士の魂と言っていたけれど、容保様はその命ともいえる一振りの一刀を、斉藤一に渡したわけで。もはやできることは何もなく、あるのは諦めだけ。純粋培養ゆえの苦悩を、終始どこかさびしげな表情で演じた筒井道隆が一年を通して好印象だった。

  • 「前歯のかわいい女は情が深ぇんだ。そういうとこ見とけ」キザを承知で気取る土方歳三の役は山本耕史にぴったりだった。土方歳三は伊達男だから、キザを気取ってくれればくれるほど嬉しかった。流し目をくれてみたり、葉っぱを吹いてみたり、「姿形からはいるんだぃ」と髪を両手で撫で付けてみたり。

    多分、総司が自分の嘘に気づいていることを彼は知っていたんだと思う。だからこんなセリフでごまかして。その上、ちょっとでも総司が幸せでいられるようにお考との仲を取りもとうとしたりして。お考と過ごした時間は短くても、総司が幸せだったことは間違いない。でも、ひでやお考と居ること以上に彼が望んだのは新撰組の仲間と一緒にいることだったこと、土方は知っていたのだと思う。すでに共にいない仲間のことや近藤のことを総司に知られたくなくて、わざと明るく振るまったことは裏目に出ちゃったけど。

    ひとり、また一人、皆が沖田を置いていってしまう。お考も。ありんこの命も人の命も一緒だと言ったお考。総司を庇って死んでしまった。自分の吐いた血の海に溺れるありんこを助けたのは、総司なりのお考への供養だったんでしょう。もっと大切にしてあげれば良かったと後悔しながら。武士でありながら畳の上で亡くなった沖田総司。あの白鞘の刃を抜いた瞬間、哀しいくらいに綺麗だった。あの瞬間、藤原版沖田総司が完成したように思う。最初は藤原竜也のウサギみたいな顔に馴染めなかったけれど、いつの間にか、彼は私にとって「沖田総司」になってしまっていた。それから優香ちゃん、本当にかわいかった。

  • 手毬と女の子。あれ??『切られ与三郎』フラッシュバック!(←手毬の好きな妹と、血の繋がっていない兄の許されざる純愛物語。劇中、幼い頃の妹が手毬をついて歌う場面は最大重要ポイント。)ちょうど娘のたまと同じくらいの年頃の女の子。もう二度と逢うことのできない娘の姿をあの子に重ねた近藤勇香取慎吾

    あー…香取慎吾は、本当に良かったですね。回を重ねるごとに、本当に年数を重ねるがごとく顔つきが変わっていって。実は彼がここまで演じるとは思ってなかった。最終回を迎えて、本当に香取慎吾近藤勇であったことに「ありがとう」と言いたい。

    刑場で、母と妻と兄の顔を見つけた近藤。妻に力強く頷く近藤の顔が、実に漢だった。前もそう思ったんだけど、つねと一緒にいる近藤の表情ってやけにこう、色気が出るというか、男らしくなるというか、引き締まる。京に上る時、見送りに来たつねに、やっぱり近藤は力強く頷いた。ああしてお互いに覚悟を決めたんだろうなあ。過ごした時間は少なくとも、通じるものは確かに築かれていたんだな。ああいうのも夫婦の形なのだろうと思う。涙も流さず良人の最期を見ようとしていた、つね@田畑智子の表情が切なかった。

    そして近藤勇、最期の時。近藤さんだって死ぬのはすごく怖かったと思う。コルクのお守り、一緒に持っていけなかったし。いくら覚悟が決まっていたって死ぬのが怖くない人なんていないと思う。しかも斬首の処刑。武士として切腹も許されない屈辱の死。

    近藤の最期の言葉は「トシ」。それは土方歳三に対する「見守っていてくれ」であり、「ありがとう」であり、「楽しかったな」であり。もっとたくさんの意味や想いが込められていたはず。まさに万感の「トシ」でした。

    愛しき友はいずこに この身は露と消えても 忘れはせぬ 熱き思い 誠の名に集いし遠き日を あの旗に託した夢を。これは近藤から土方への遺言?て思った。土方は、五稜郭で最期を迎えるまで「誠」の旗を守り通した。それは彼の意地でもあったろうし、近藤さんと心の中で結んだ約束だったんだろうな。

  • 近藤勇の御首、取り戻しに参る。新撰組三番隊組長、斉藤一!」で抜刀、懐紙で刀身を拭ってなぐりすてるところまでの流れるような動き。オダギリジョー、最大の見せ場でした。ここんところ、雷蔵映画を見続けているせいもあって、かなり殺陣に対するの目が肥えた(と思う)私ですが、オダギリジョーの殺陣、迫力満点でした。最初は得体の知れなかった彼、実に深いキャラクターに成長。多分、回数を重ねるたび、オダギリジョーの演技を見ながら三谷がキャラクターをどんどん膨らませていった結果なんじゃないかと思う。斉藤一はどこまでも「刀の人」だった。頑ななまでに。銃弾に倒れた源さんや、本来なら剣友であったはずの沖田の鎮魂をしているかのように。

    終わってしまった。本当に終わってしまった…。走馬灯のように流れてくる画像に、「ああ、そうだった、こんなことあったよね」っていちいち頷きながらハナをかみつつ、涙を拭いた。捨助が死んだところで涙腺が一気に緩んで、そこからはもう全然ダメだった。8時45分にはティッシュもタオルも痛くなって、コットンで涙をふいた。これで、『新撰組!』の感想は終わりです。私も感無量です。


    ▼『新撰組!』の抜け殻に。抜け殻の同士がぞくぞくと集まっている模様です。集えー!http://d.hatena.ne.jp/doukyoninday/20041213

    ▼ヤボオさんが『新撰組!」について今年1年の締めくくりにふさわしい述べられています。どうぞご参考に!http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/2241508