20年越しの想い。プチ・スター階段。

UPLINK FACTORY トークイベント「心の歌 最後の歌」
■司会:JOJO広重 ゲスト:遠藤ミチロウ

ミチロウさん退院後、初のお仕事…ということで、体調を大変心配していたのですが、会場に向かう途中、というかUPLINK FACTORYの隣、ワタクシのお気に入りかふぇー&取引先でミチロウさんが茶してました…。あーもう!本屋なんかに寄らないでそこで素直にゴハンしてりゃーヨカッタと大変後悔。そーすればミチロウさんとばったりできたかも、なのに。待ち時間におにぎり食べよー♪とか思ってコンビニに寄ってったのに、食べる間もなく開場、しかも持ち込み禁止…。ガーン…。

でも、お隣のかふぇーでミチロウさんがおいしそーにタバコを「スッパー」してたので、ああ、わりと元気かもと思って安心しました。

もっと人が集まるかなーと思いきや、案外小規模。あれれ?やっぱりミチロウさんは歌ってこそミチロウさんと思っている人が多いということなんだろうか。まあいいやー。我自由丸さんとど真ん中の席を牛耳る。

なんだかんだしているうちにJOJOさん登場。とても柔らかい物腰の喋りで、スタート。ミチロウさん登場。ちょっと若干痩せた(特に脚。)印象。でも、顔色よかったし、元気そう。そしてM.J.Q.のTシャツ着用。いいなー。ほすぃー。

そういえば、ミチロウさんがひたすら喋るだけ、っていうのを見るのはすごく久しぶりかも。ポンタ村上さんのTV番組以来じゃないのかな。っていうか、あれ、ビデオに撮った人がいらしたら貸して頂きたいんですケド…。撮りそこねた悔しい思い出が。

お話は子供時代のお話から小中学校時代の天才児っぷり(成績がオール5、ずっと学級委員で挙句の果てには生徒会までやっていたこと、中学3年生の冬に試験の前日徹夜で勉強、朝になってぼっけーと歩いていたらバスにハネられた事件とか)、高校生になったら急に成績下がっちゃった&でもやりたいことないし就職もしたくない、でも金もないから国立大学に入んなくちゃ、と猛勉強して大学に入ったこと、入学式でいきなり学生運動にまきこまれ、せっかく歴史を勉強しようと思っていたのに学生にボコられていたのが歴史の教授だったことにがっかりして歴史の勉強をやめたこととか。日本中ヒッチハイクで旅したこと、学生時代にハコを経営してたけど旅がしたくてやめたこと、そのお金で卒業後に東南アジアに行っちゃったこと。旅の途中で「歌もいいかもね」と思って歌ってみようと思いついたこと。

それから歌うなら大阪だろうと思って大阪に向かったんだけど、東京にいた友達のとこに居候しているうちに「東京でもいいか」と思って落ち着いちゃったこと。最初に住んだのが立川で、目の前にパンクばっかしかけてる変な喫茶店があったこと。バンドを組もうにも相手がいないなーと思っていたら、向かいの部屋からドラムを叩いている音が聞こえてきて、それがイヌイジュンだったこと。そのアパートには金子あつしも住んでたこと。それがコケシドールの始まりだったこと。

メンバーが1人変わるたびにバンド名が変わってコケシドールから自閉体、バラシになったこと。バラシをやっていた時、ギターを弾いていると歌に集中できなくなっちゃうことに気づいてイヤになってしまったこと。やっぱし顔がいい奴がいないとバンドはダメだ!っていうことで高円寺の喫茶店で「かっこいいヤツがいる」と、見かけただけでのシンタロウを「バンドやればモテるから!」と無理矢理口説いてメンバーにしてしまったこと。(JOJOさんによれば、シンタロウは後に『だまされた』とぼやいたらしい・笑) 

ザ・スターリン時代はエレキギターで曲を作っていたので数種類のコードをスライドさせて曲を作っていたこと(『ジャッジャッジャー、ジャッジャッジャー♪ってかんじ』、とコードをスライドする手まねをするミチロウさん)とか、でもアコースティックギターではそうもいかないので、42歳になってコード本を買って練習を始めたこと(JOJOさんは36になってかららしい・笑)。

その後、休憩がてら昔の映像を。シンタロウが脱退した後、シンタロウが出ていたFUJIYAMAのイベントにミチロウさんがゲスト出演して歌ってる、というレア映像。ああ、シンタロウだぁ…。シンタロウ、楽しそうだな。嬉しそうだな…。ちょっと切なくなって涙がちょちょぎれる。ミチロウさんはひたすら「はずかしー」と照れる(笑)「シンタロウ、ミチロウさんのこと本当に好きだったんだろーなあ、本当に一緒にいて楽しかったんだろうなあ。嬉しそうに演奏してるよなあ」ってJOJOさんがコメント。また切なくなってしまった。でも当時の映像が見られて嬉しかったなあ。

ミチロウさんは退院してからまだ歌っていないとのこと。歌わない代わりに、JOJOさんと即興でノイズギターと叫びのセッション。うーん…。貴重といえば貴重なものを見たわ(笑)途中、ミチロウさんがむせこんじゃったので「ああ〜!JOJOさん、もうやめさせてあげて〜〜!」って思ったり。

ミチロウさんが文学に目覚めたのは高校時代とのこと。友人の「けんじ」君が宮沢賢治ファンだった+ミチロウさんの実家が安達太良山に近かったことから、まずは高村光太郎に惹かれたこと、当時つきあっていた女の子と「交換日記」ならぬ「交換詩」をしていて、けっこうぬるいというか甘い甘い詩を好んでいたこと。(←智恵子抄の影響らしい。)そのくせ萩原朔太郎とか好きだったこと。

その他、The Stalinの頃は「客は敵」みたいに思ってステージに立っていたこと、自分たちに興味のない客をどうやって煽るのか考えた時に残飯撒くか、という話になり、ただ残飯もそういつもあるわけではないので臓物になったとか。地方に行った時は焼き鳥屋さんに仕入れ場所を聞いて臓物を調達したとか。「鳥の頭とか足とか、あれって何で売ってるんですかね?」というミチロウさんの問いに、「ラーメンとかの出汁用なんじゃないですか?」と答えるJOJOさん。ミチロウさんが「ああ、そっか」って妙に納得していておかしかった。

とあるイベントでの思い出話。「JOJOさんが、ステージ前なのに一生懸命食べ物をつっこんでいて、何をするんだろうと思っていたら、ライブが始まるや否やいきなり(あらかじめ客席の前に敷いてあった青いビニールシートに)吐いたんですよね。それを見て、ああ、これならウチらも大丈夫だって思って」とミチロウさん。で、JOJOさんはJOJOさんで「ミチロウさんは水をガンガン飲んで、一生懸命トイレに行くのをガマンしてたよね、もったいない、とか言って」と笑ってましたが(笑)どっちもどっちだ。

その他いろいろ濃ゆい話ばっかりでおもしろいのなんのって、たまりませんでした。またこういうイベントやってほしいな、って思ってたら、JOJOさん、この9月でこのトークイベントを終えられるそうです。残念。JOJOさんはとっても感じの良い方で、かたっぱしから窓ガラスを割ったり客席にむけてゲロったり、落とし穴を掘って喜んだりするような人には見えませんでした(笑)その昔、ミチロウさんに間違えられて「なー、ミチロウ、えーやろー、サインしてくれてもえーやんかあー」と男の子に付いて来られたこともあったそうです。「あの当時は僕もミチロウさん並みに痩せてたから」ってJOJOさんが苦笑。いやいや、今でもとってもとっても素敵ですよ!JOJOさんもミチロウさんも!!

あー、アタシ、本当に80年代のパンクシーンを実体験できなかったことが悔やまれたわあ…。

でもね、アタシもずーっと中学までは学級委員+生徒会の優等生で、高校に入ったとたん鳴かず飛ばずだったり、なんとなーくミチロウさんに通じるものがあったり。高村光太郎とハギサク(萩原朔太郎)が好き、っていうのも嬉しかったー。アタシも大好き!特にハギサクね、ハギサク!で、学生の頃はドアーズが大好きだったと。アタシも大好きー!レイのミョンミョンしたキーボードとかね、ねちこいのに乾いた音もジムの歌詞世界も大好き。私もドアーズにはまったのは大学の頃だったなー。

というわけで、ミチロウさんのバックグラウンドをたくさん知ることができたのですが、(実に勝手ながら)私は紆余曲折を経てミチロウさんの音楽に出会うべくして出会ったのかも、という気がしてきました。それから、しばらく悩んでたことも、JOJOさんやミチロウさんのお話を聞いていたら、人生なにごとも遅すぎるってことはないのかもしれないと思って、ちょっと気が楽になったのでした。いろんな意味で行って良かったです。

帰り際、JOJOさんにサインを頂きました。えへ。嬉しい♪そして、ちょろっとミチロウさんとお話させていただきましたが、27日のアピアのライブは、ちょっと微妙みたいです。歌うかもしれないし、歌わないかもしれないし。ちょっとだけ歌って、ほかに何かやるかも、って。私としては、やっぱりミチロウさんに体のことを一番大切に考えてほしいので、無理をして歌わないでいただきたいのです。体がよくなるまでは。アピアでは何が起こるのかな?ちょっと楽しみです。無理しない程度にミチロウさんが見られるといいな。ところで。M.J.Q.のTシャツは試作品だそうで、まだ売ってませんとのこと。

はー。楽しかった♪やっぱりミチロウさん大好き!